ひもトレ祭 小関勲×小出遥子 対談「語れない真ん中を語ってみる」

9/23・24に開催されるひもトレ祭りに遥子さんがゲストとして参加します。

9月23,24日開催 ひもトレ祭-第4回 ヒモトレから観る身体の可能性-

ヒモトレというのは一本のヒモを体のどこかにゆるく巻いておくだけで、体のバランスが「自ずから」整ってくるという小関勲さんが見出したメソッドのことです。実践すると「結果として」肩こりや腰痛が治ったりすることもあって、こういった身体的な不都合の改善が目的と見られがちなんですけど、これらは本当におまけのようなものなんですね。

ヒモを巻くことで、忘れられていた「からだ」に気づく。と同時に、「いま」「ここ」「自分」が見えてくる。断然メインはこっちというか。

「あたまを通すまでもなく、からだが勝手にととのっていく。」と遥子さんが言ってますけど、ほんとこれ大事ですよね。

考えてしまうと、いつまでたっても「私」のままで「わたし」が見えてこなかったりするので。

「あ、これか」

そう感じたならもうそれでオッケーで。難しいこととかどうでもいいんです。

「肩回しっていうのは肩だけじゃなくて、全身の運動なんだ」

初めてヒモを巻いてみたとき、そんな体感がありました。これマンダラなんですよ。

それぞれのはたらきが独立して個別にあるように見えて、ほんとうは「全体のはたらき」しかない。これしかない、そんな境界のなさ。何をするまでもなく、「既にそうなっている」ということ。こんなのもはや「私」を超えた話になってきますよね。

(そのときのお話→ 小関勲さんとの対話/いのちとカラダと全体性のお話

ヒモトレを通して見出されるものって、仏教とか、そのほかの様々な智慧が指し示しているものとまったく同じなんですけど、ヒモトレはとにかくシンプルで、まったく大げさじゃないところがいいなって思うんです。日常のテンション。この「なんでもなさ」においては、悟りがどうこうとか、まだまだ修行が足りないとか、あの人はすごいだのすごくないだの、そういう一切がいかにどうでもよいか、もったいぶったものであるかということがすんなり納得されてしまいます。

とにかく、この既にある「これ」について深く共鳴し合っている小関さん、遥子さんの対話とくれば、これはもう面白いことになるのは間違いないですね。